富士山と美女と彩帆(サイパン)のつながり、ようやくそのナゾが解けました

いつごろだったか忘れましたが、某サイトに出品されていた黄ばんだ古い、小汚いハンカチっぽいものを衝動買いしちゃったことがあって。

なんで買っちゃったかというと、これが目に入ったから。

タイトルは富士山と美女

富士山と

美女

まあ絵の好みはいろいろあると思いますが、あきらかに手描きで描かれたこの布。
最初は戦前のものだと思ったんです。漢字で彩帆(サイパン)と書かれているから。
でも英語でもSaipanと書かれていて。
この両表記が引っかかって、これは何だろう?と長年のナゾだったのです。
それから数年経ったある日、GuamのJapanese POWの布アートとして出品されていた下記画面を偶然見つけまして。
*下記画像は米サイトeBay出品画面より引用。

POWとはPrisoner of Warの略、日本語で戦争捕虜のことです。
なので出品名が第二次世界大戦 日本人戦争捕虜の布アート グァムとなります。
あきらかに同じタッチで描かれたこれらの布。
これを見た瞬間、おー😮これかあー😮😮と。
そこで初めて、これはサイパンの日本人捕虜収容所で描かれたものということがわかったのです。
どれも手描きの一点モノ。
サイパン戦後初期のサイパンには、民間人、軍人などキャンプ(収容所)がいくつか分かれて設けられていたようですが、数万人の民間人が長期にわたり生活していたのはススペキャンプでした。
サイパンの人々(チャモロ・カロリニアンの人たち)については主にチャランカノアキャンプと呼ばれるキャンプに収容されたようです。
*下記図は沖縄県史資料編18 キャンプススッペ(和訳編)から引用。

ただ、この2つの収容所はチャラン・カノアからススペにかけての広大なエリアに隣接していて、その中で別々に収容されていたようですね。
今回主に参考にしたのは2004年3月 沖縄県教育委員会発行 沖縄県史資料編18 キャンプススッペ(和訳編)。

この中には1945年3月にはキャンプ内に米軍直営の売店が開設されたこと
売店の設置によって日用品購買が可能となったため、現金収入を求めて就労希望者が激増したこと
またサイパン高等女学校の教員や生徒を中心にハンディクラフト部が作られ、そこで作られた手工芸品が米兵のおみやげとして販売されたことが書かれています。
*下記ページは沖縄県史資料編18 キャンプススッペ(和訳編)から引用。

このハンカチもおみやげとして本国へ持ち帰られたものなのかもしれません。
*下記ページは沖縄県史資料編18 キャンプススッペ(和訳編)から引用。

サイパンの人々も収容所で手工芸品を作成販売していて、その中の一部がサイパン アメリカンメモリアルパーク内にあるビジターセンターと北マリアナ諸島歴史文化博物館内に展示されているので興味をお持ちの方はぜひお立ち寄りください。
ただ、展示品(の一部か全部なのかは不明)はテニアンのチューロキャンプで作られたものらしいので、実際のところこのハンカチがどちらの収容所で作られたのかはわかりません。
しかしこれらすべての絵柄が日本を象徴する富士山や日本髪の着物女性であったことは大変興味深いところだと思っています。

